トップ »

ご無沙汰しております・・・
梅雨入りの知らせがぼちぼち聞こえるようになるともうすぐホタルの季節ですね
左京区にある哲学の道では
五月下旬から飛んでいるとききました
上賀茂神社のホタルも、
例年増え続けて今年も楽しみです。
毎年、ホタル祭りが開かれるのですが
今年は、京都である「サミット外相会談」のため見合わされるとか・・
上賀茂神社で見かけたら、またご報告させて頂きます
ありがとうございました
|
|
| |||
梅雨のなかやすみ、清々しい朝に
魚菜青年会では初めての早朝例会が、
北 区・紫野にある大徳寺内の大慈院さんで行われました

こちらの大慈院さんは天正13年(1585)に創建された、
大徳寺の塔頭のうちのひとつです

こちらのご住職、戸田実山和尚より、
「人間の命と仏教」と題した法話を一同拝聴し、
また緑豊かなお庭を背にした座禅体験では、
みんな普段の忙しさを忘れ自分自身を見つめる
良い機会になりました。

座禅は背中をいきなり棒で叩かれて、痛いもの・・・と
何も知らない初心者である私は、そう思っていました
この座禅時に、背中を打つ板を、
「警策」(きょうさく) と教わりました
これは懲罰的なものではなく
気持ちを引き締めるために自ら頂戴するものとされるため、
和尚さまが、自分の前に来られたときに、
低頭し合掌するのが決まりであることもお話し頂きました
「今日のお昼は何を食べよう♪
明日のお客様の献立は、どのような趣向にしよう」
など頭の中には常に雑念がつきまといます
この状態を「意馬心猿」(いばしんえん)
つまり暴れる馬や野猿は制することがむつかしいことを挙げ
心中がなかなか鎮まらないことを表します
「警策」を頂戴するとき、
静寂を破る、「パンパン」と背中を打って頂いた音が何とも清々しく
全く痛みなど感じなかったのが、実のところです

このあと、副住職さんにご案内頂き、
滅多に拝観できない、国宝の本坊・そして金毛閣に寄せて頂きました
それはまた次の機会に
よくお手入れされたお庭の緑は
本当にまぶしく 日本古来より受け継がれる
禅の心を表す和の情景が溢れていました

お読み頂きありがとうございました
最後になりましたが、
大慈院様・お越し頂いたゲストの皆様・設営頂いた関係者の皆様に
御礼申し上げます。
(6月11日の研修例会の模様をご紹介しております
前半はhttp://www.kyoryori.com/blog/2008/06/post_394.html
をご覧ください
大慈院さんでの座禅を清々しく終えた一行は
副住職さまにご案内頂き
大徳寺本坊を拝観させて頂きました

(これより先は写真撮影をご遠慮させて頂きましたので、テキストだけでお許し下さい)
料理にたずさわる我々に、まず庫裏(くり)と呼ばれる
お台所を見せてくださいました
お台所には大きな釜や竈があり大変歴史を感じさせるものでした
そのかたわらに、韋駄天さんが祀られていました
その昔、農業技術が確立されていない頃、飢饉が起こると
人々は食料の困窮に直面しました。
韋駄天さんは足が速く四方八方走り回り、
その日の糧を集めてくれると
信仰を集めたそうです。
馳走も馳せ走るという意味ですので、
「ごちそうさまでした」という言葉も
食料に対する感謝はもとより、良く食材を集めてくださいましたと
ねぎらいの意味も含まれているとご説明頂きました。
次に本堂に当たる国宝の方丈をご案内頂きました
そこには何とも落ち着いた雰囲気の障壁画があり、
作者は江戸時代初期、代表的絵師の1人 狩野探幽の作と
お聞きしました
水墨画は国の重要文化財で、
本来なら温度湿度の管理された博物館にあって当然の
超一級美術品なのですが、
作者が生前に寄進された意を鑑み、
もともとの状態で保存されています
お庭はもちろん枯山水、
水の流れを綺麗に表現した白川砂
また座禅石と呼ばれる立派な一枚石
そして青々とした苔、
これが三位一体となり何とも心落ち着く情景を
表していて、写真でお見せできないのが残念なくらいです
上の襖絵とお庭が華美をのぞき禅の境地を示したものならば
金が施され極彩色に彩られた唐門(国宝)が
そのうしろに対局として置かれています
実はこの唐門、元々はこちらになかったと
そのエピソードをお伺いしました
明治の廃仏毀釈の際、京都の寺院の多くは
本当につらい思いをされたと頻繁に目にしますが
大徳寺さんもその例外ではなかったようです
もともとあった明智光秀寄進の明智門は
他のお寺に譲られたそうで
そのかわり聚楽第の遺構であった
唐門をこちらに移されたそうで
近年の復元により、その輝きは
創建当時の華やかさに戻されたとご説明頂きました
次に、こちらも滅多に入ることが出来ない、
金毛閣の名で知られている山門に上がらせて頂きました
こちらの山門は元々一階建てだったそうですが、
大徳寺と所縁の大変深い千利休によって
2階部分が寄進されたと伺いました
大徳寺はもとより紫野一帯を見渡せる
その2階からの景色は素晴らしかったです
そして戸が開けられ
正面のお釈迦様、
そのまわり囲む十六羅漢像に
日光が当たった瞬間
そのお姿に一同言葉をなくしたほどです。
また天井や太い梁には当時狩野派のライバルであった長谷川等伯の
龍の力強い絵が描かれ、こちらにも息をのむ次第でした
こちらにも当時のエピソードが語り継がれているとお聞きしました。
・・・この龍の天井絵を書き終わるまで、
漢字では「等白」と名乗られていたそうです。
実際絵の片隅にも「等白」と書かれています
そして絵の完成時、
当時の大徳寺の和尚さんがこの龍の絵をたいそう賞賛されて
白ににんべんを付けて伯、
「等伯」 と名乗って良いと言われたそうです。
白に人偏がつくことにより、人の上に立つ
という意味がつけたされるそうです
次に利休居士の等身大の像が安置されている厨子を
特別にご開帳いただきましき、そのお姿・お顔を拝見した次第です
ご存じの方が多いと思いますが
千利休が豊臣秀吉に自刀を命じられた発端となる像です
一同、金毛閣をあとにし、
普段はされてない朝食を特別に提供してくださる
当会 武藤会長の御店、泉仙さんに向かわせて頂き
ご自慢の鉄鉢料理などたくさん頂戴しまして、
おいしく例会を終えた次第です
撮影の出来ないところが多く写真が少ないため
おわかりにくい表現が続きましたこと
どうぞご容赦ください
「おいしい京料理ドットコム」を主宰している
京都魚菜鮓商協同組合青年会では
会員自身のさらなる研鑽を目指し、
このような活動を致しております
お読み頂きありがとうございました